

実は片輪が完全に浮くと、トルセンデフはただのオープンデフになってしまいます。
まず、トルセンデフを理解するには「普通のデフ(オープンデフ)」との違いから押さえておく必要があります。
オープンデフは、車がコーナーを曲がるときに内輪と外輪の回転差を吸収するための装置です。左タイヤと右タイヤが別々の速度で回れるようにする、いわゆる「回転差を許す」機構です。これ自体は非常に合理的な設計です。
問題は、オープンデフが「差動を吸収するだけ」という点にあります。片方のタイヤが雪道や泥道でスリップして空転し始めると、トルクは抵抗の少ない側、つまり空転している側にだけ流れ続けます。もう片方のタイヤはグリップしているのに、駆動力が届かずに車が前に進めなくなる、という状況です。
これがオープンデフの限界です。
トルセンデフは、この限界を「機械的な摩擦」で克服します。デフケースの中にウォームギアとエレメントギア(スパーギアとウォームギアが一体になったギア)を複数組み合わせ、それらが噛み合うときに生じる摩擦力を利用して差動を制限します。
つまり、トルセンデフは「差動を完全に止めず、かつ差動しすぎも防ぐ」中間的な存在として機能します。
この「ほどよく」というのが重要です。いつでもどこでも差動を制限するわけではなく、左右のトルク差が生じたときだけ自動的に働く。だから街乗りでも違和感がありません。
トルセンデフの核心は「ウォームギアの一方通行性」にあります。これがこの機構の巧妙さです。
ウォームギアとは、ねじのような螺旋状の歯を持つギアです。ウォーム側からスパー(平)ギアは駆動できますが、スパーギア側からウォームを逆回転させることはできません。ちょうどネジを締めるときにドライバーからは力が伝わるが、ネジが勝手に回って緩んだりしないのと同じ原理です。
この「逆転できない」性質が、差動制限を生み出します。
通常の直進走行では、左右輪のトルク差がほぼ0のため、ウォームギアは滑らかに差動します。オープンデフとほぼ変わらない動作です。
しかし、コーナリングや悪路などで左右のトルク差が生じると話が変わります。より多くのトルクを受けようとする側のウォームギアが、エレメントギアを「ロック」しようとする力が生まれます。これが差動制限として機能します。
🔑 ポイントを整理するとこうです。
重要なのは、この仕組みが「電子制御なし」で自動的に働くという点です。センサーもアクチュエーターも必要なく、純粋にギアの摩擦力だけで制御されます。だから応答が速く、電気系のトラブルとも無縁です。
また、トルセンAタイプ(T-1)は交差軸のウォームギアを使い、トルセンBタイプ(T-2)は平行軸のヘリカルギアを使います。後者が「ヘリカルLSD」と呼ばれるものの正体で、市販スポーツカーへの純正採用ではBタイプがより多く見られます。両者は原理的にほぼ同じですが、ギアの向きと細かな作動特性に差があります。
Wikipedia「トルセン」:TBRの定義と3タイプの内部構造について詳しく解説されています。
トルセンデフの性能を語るうえで外せない指標が「TBR(Torque Bias Ratio:トルクバイアス比)」です。これを知らないままトルセンデフを語るのは、もったいないです。
TBRとは「グリップしている側のタイヤに、スリップしている側の何倍のトルクを配分できるか」を示す比率です。
例として、TBRが3:1の場合を考えます。これは、トルクを多く受けられる側が全体の最大75%、少ない側が25%を担当できることを意味します。つまりグリップ側に3倍のトルクを送れる、ということです。東京ドームのグラウンド面積(約13,000㎡)と内野スタンドを合わせた全体のうち、グラウンド部分に当たる75%がグリップ側に集中する、というイメージです。
アウディのクワトロシステムに使われるトルセンT-3(TypeC)のTBRは2.7〜4.1とされており、これは市販車の中でも高い部類に入ります。高いほど悪路での脱出力や加速時の安定感が増します。
ただし、TBRが高ければいいというわけではありません。TBRが高すぎると、コーナーリング中に内輪への制限が過剰になり、アンダーステアが強くなる場合があります。街乗りメインの車では低めのTBR設定が自然なハンドリングに貢献します。
表にまとめるとこうです。
| TBR値 | 特性 | 向いている用途 |
|---|---|---|
| 2:1 前後 | 差動制限が穏やか | 街乗り・FF車 |
| 3:1 前後 | バランス型 | スポーツ走行・FR車 |
| 4:1 以上 | 差動制限が強い | 4WDセンターデフ・悪路走行 |
このTBRという概念が頭に入っていると、「どの車のトルセンデフがどれくらいの性能なのか」を数値で比較できるようになります。これは知っておくと得する知識です。
トルセンデフには大きな弱点が一つあります。多くの車好きが見落としがちな点です。
それは「片輪が完全に宙に浮いてしまうと、差動制限が機能しなくなる」という問題です。
前述の仕組みを思い出してください。トルセンデフはトルク差に応じて差動を制限します。ではタイヤが完全に地面から離れてしまったら? そのタイヤに伝わるトルクはほぼ0です。トルク差に反応する機構なのに、一方のトルクが0なら、差動制限力も0に等しい状態になります。
結果として、宙に浮いた側のタイヤが空転し、接地している側へ駆動力が伝わらなくなります。オープンデフと同じ状況です。
これはWikipediaのトルセンのページでも明記されており、「もし1つの車輪が宙に浮くと、通常のトルセン装置はオープンデフのように動作し、反対側にトルクは伝達されない」と記されています。
これは大きな落とし穴です。
たとえば荒れた舗装路やコーナーの縁石乗り上げで片輪が宙に浮いた瞬間、トルセンデフは機能を失います。機械式LSDなら、この場面でも差動制限力が残ります。そのため、本格的なサーキット走行やオフロード走行では、トルセンデフよりも機械式LSDの方が向いているとされる理由のひとつがここにあります。
ただし、トルセンT-2Rという特殊モデルはプリロードクラッチを持ち、片輪が浮いた状態でも一定のトルクを反対側に伝達できます。この点だけは別物です。
通常のトルセンデフを搭載した車でサーキット走行や本格的な雪道脱出を想定するなら、この弱点を把握した上で補助的な対策を考えることが重要です。スタッドレスタイヤへの交換による接地面確保が、この弱点を最もシンプルに補う方法です。
OS技研「LSDのメリット・デメリット」:片輪浮きでの差動制限力低下と機械式との性能差を具体的に解説しています。
トルセンデフは、国産スポーツカーを中心に広く純正採用されています。具体的な採用例として、GR86・スバルBRZ(リアデフ)、スバルWRX STI(リアデフ)、アウディ各モデル(センターデフにT-3型)、レクサスGX470(センターデフ)、トヨタ ランドクルーザープラドなどが挙げられます。
採用が多い理由は明確です。機械式LSDと比べて異音がなく、定期的な分解整備も不要で、街乗りの快適性を損なわないからです。
ここで知らないと損する話があります。
それは「デフオイルの規格選び」です。
多くのドライバーは、デフオイルを交換するときに「なんとなく数字の低いGL-4を選ぶ」または「指定を気にせずに入れる」ことがあります。しかしトルセンデフの場合、これが内部ギアのダメージにつながる可能性があります。
トルセンデフには、必ず「GL-5規格」のデフオイルを使う必要があります。GL-4やGL-3は使用を避けるべきです。
理由は、トルセンデフの内部ではウォームギアやエレメントギアが高い面圧(極圧)下で噛み合っているためです。GL-5は極圧添加剤の配合量がGL-4よりも多く、この高負荷に耐えるように設計されています。GL-4を入れると、ギアの歯面が摩耗・損傷するリスクがあります。
粘度の目安は「75W-90」または「80W-90」が一般的です。BILLIONのFR-375など、トルセンデフ専用として設計されたオイルも市場に存在します。車種によってはメーカーが「85W-90 GL-5」を指定していることもあるため、必ず車両の取扱説明書で確認してください。
交換時期の目安は走行距離2万km〜5万kmが目安とされていますが、スポーツ走行後や山道を多用した場合は早めの交換が賢明です。工賃込みでの交換費用は数千円程度(部品代+工賃2,000〜4,000円)で収まることが多く、維持コストとしては機械式LSDと比べてはるかに安価です。
| 項目 | トルセンデフ | 機械式LSD |
|---|---|---|
| オイル交換頻度 | 2万〜5万km | 3,000〜5,000km |
| 分解整備 | 基本不要 | 1〜2年ごとに必要 |
| 異音 | ほぼなし | チャタリング音が出る場合あり |
| 維持費目安 | 数千円/年 | 数万円〜/年 |
| 片輪浮き対応 | 弱い(ほぼオープンデフ状態) | 強い |
つまり、日常使いとスポーツ走行の両立を求める車には、トルセンデフが最適解の一つです。
ただし「GL-5オイルを指定通り使う」「2万km以内での交換を習慣にする」この2点を守ることが、トルセンデフを長持ちさせる最低条件です。次回のオイル交換のときに、使っているオイルの規格を一度確認してみることをおすすめします。
Gulf Japan FAQ「トルセンデフに最適なギヤーオイル」:GL-5規格を必ず選ぶ理由とトルセンの作動原理を簡潔に解説しています。
ジェイテクト プレスリリース「トルセンLSD・電子制御カップリング採用」:製造メーカー公式情報として、GRヤリスへのトルセンLSD採用について掲載されています。