

ハイテン鋼の規格を知らないと、あなたの愛車が軽い追突でも全損扱いになって損するかもしれません。
ハイテン鋼(高張力鋼)とは、通常の鉄鋼よりも引張強さが高い鋼材のことです。正式名称は「High Tensile Strength Steel」の略で、日本では一般的に引張強さが490MPa(メガパスカル)以上のものを指します。
MPaという単位はなじみが薄いかもしれませんが、「1MPaはほぼ10kgf/cm²」と覚えると感覚がつかみやすくなります。500MPaなら、1cm²の面積に約5トンの力をかけても変形しない強さです。はがきを1枚広げたサイズ(約93cm²)に、乗用車475台分の重さをかけても耐えるイメージです。
自動車向けのハイテン鋼に使われる主なJIS規格は以下の2種類があります。
| 記号 | 規格名 | 製法 | 板厚の目安 |
|---|---|---|---|
| SPFH | 自動車用加工性熱間圧延高張力鋼板(JIS G3134) | 熱間圧延 | 1.6〜6.0mm |
| SPFC | 自動車用加工性冷間圧延高張力鋼板(JIS G3135) | 冷間圧延 | 0.6〜2.3mm |
記号の末尾についている数字は、その鋼材の最低引張強さ(N/mm²=MPa)を表しています。たとえば「SPFC590」なら最低590MPaの引張強さを持つ冷間圧延ハイテン鋼です。「SPFH490」なら490MPa以上の熱間圧延品です。
つまり、JIS規格の記号を読めばその鋼材の強度がひと目でわかる、ということですね。
末尾に「Y」がつくもの(例:SPFC590Y)は、「低降伏比」を示しています。降伏比とは引張強さに対する降伏点の比率のことで、Yがつく鋼材は衝撃を受けたときに変形しやすく、エネルギーを吸収しやすい性質を持ちます。クラッシャブルゾーン(衝突時に意図的につぶれて衝撃を吸収する部位)に使われることが多い規格です。
参考:JIS規格の詳細な数値や化学成分については公式資料も確認できます。
JIS G3135:2018 自動車用加工性冷間圧延高張力鋼板及び鋼帯(kikakurui.com)
ハイテン鋼は引張強さによっていくつかのグレードに分かれており、車のどの部位に使われるかによって使い分けられています。グレードの基本的な分類を理解することが大切です。
| 分類 | 引張強さの目安 | 主な用途部位 |
|---|---|---|
| 通常のハイテン | 340〜590MPa | ドアパネル・フロア・フード |
| 高強度ハイテン | 590〜780MPa | フレーム・クロスメンバー |
| 超ハイテン(超高張力鋼) | 980MPa以上 | Aピラー・Bピラー・ルーフレール |
| ウルトラハイテン / ホットスタンプ材 | 1470〜1500MPa以上 | Bピラー上部・シル・ドア補強材 |
特に注目したいのが980MPa以上の超ハイテン材です。引張強さ1,500MPaのホットスタンプ材は、普通鋼(270MPa)と比べると約5.5倍の強度を誇ります。これは同じ強さを確保するために必要な鉄板の量が5分の1以下になれる計算です。
ホットスタンプ工法とは、830℃以上に加熱した状態でプレス成形し、そのまま金型内で急冷して焼き入れを行う製法です。この熱処理によって590MPa級の鋼板が1,500MPa級にまで強化されます。完成後は非常に硬く脆い素材に変わるため、通常の板金工具では変形させることができません。これが後述する修理費高騰の直接的な原因になります。
最近の乗用車ではハイテン鋼全体の使用率は車体の50%以上が当たり前となっています。ホンダN-BOXでもボディの約半分がハイテン鋼で構成されており、もはや軽自動車でも採用は標準です。さらにBピラー(フロントとリアドアの間の柱)にはギガパスカル(GPa)級のウルトラハイテンが使われています。これが1つ丸ごと知識になりますね。
「ハイテン」とは何か?クルマを進化させた重要ワードを解説(WEB CARTOP)
「この車はハイテン鋼を多く使っているから剛性が高い」——カーメディアでよく見かける表現ですが、これは正確ではありません。意外ですね。
ハイテン鋼を使っても車体の「剛性」は自動的には上がりません。剛性とは「変形しにくさ」のことで、材料の厚みと断面形状に大きく依存します。一方で強度とは「破壊されにくさ・力に耐える最大値」のことです。
ハイテン鋼のヤング率(弾性係数)は普通鋼とほぼ同じ約206GPaで変わりません。つまり鉄鋼である限り、どんなに強くしても「しなりにくさ」そのものは変化しないのです。これが条件です。
むしろ状況によっては剛性が下がることもあります。ハイテン鋼に置き換えることで鉄板の板厚を薄くして軽量化を達成した場合、板厚の3乗に比例する断面二次モーメントが減るため、剛性は明確に落ちてしまいます。
では、なぜ「ハイテン多用=剛性向上」という誤解が広まったのか? その理由は3つあります。
- 👉 強度と剛性が混同されやすい:メディアでも区別があいまいに扱われることが多いです。
- 👉 メーカーはメリットしか強調しない:ハイテン材導入時の広報資料は安全性向上の面だけをアピールします。
- 👉 車体構造改善との同時期進化:1990年代以降、ハイテン採用率の向上と構造設計の進化が同時に進んだため、ハイテンのおかげと誤解された経緯があります。
ただし、これは「ハイテン鋼が悪い」という話ではありません。ハイテン鋼は衝突安全と軽量化を両立させるための素材として非常に有効で、メーカーはこの素材特性を熟知した上で構造設計を行っています。ハイテン材は衝突安全向けが原則です。
高張力鋼板(ハイテン材)とは クルマの剛性は上がる?下がる?(エンジニア備忘録)
ハイテン鋼の規格と強度を知ることは、車オーナーとして非常に重要な実利につながります。それは事故後の修理費と廃車リスクに直結するからです。
板金修理の現場では、超ハイテン材(980MPa以上)は「叩いて直す」従来の技法が通用しません。理由は2つあります。
まず、超ハイテン材は非常に硬く、ハンマーで叩いても変形させるのに大きな力が必要です。無理に叩くと素材内部に微細なひびが入り、強度が著しく低下してしまいます。次に、熱を加えた補修も禁物です。ホットスタンプ材は熱処理によって強度を得た素材なので、溶接や熱による修正を行うと焼き戻しが起き、本来の1,500MPa級の強度が失われてしまいます。
痛いですね。
つまり、超ハイテン材が使われたBピラーやシル(車体下部の骨格)などが変形した場合、そのパーツは「交換」しか選択肢がありません。パネル交換は修理コストが板金修正の数倍に上ることも少なくなく、車の時価額を修理費が超える「経済的全損」につながるケースもあります。
修理費が時価額を超えた場合、保険会社は修理費全額ではなく「時価相当額」しか支払いません。たとえば時価30万円の車が修理見積もりで50万円になった場合、受け取れる保険金は30万円が上限です。この差額20万円は自己負担になりかねません。
こうした損失を防ぐための方法として、任意保険に「対物全損時修理差額費用特約」が存在します。加害者側がこの特約に入っていれば、修理費が時価を超えた差額の一部を補填してもらえます(上限50万円程度が多い)。契約の自動車保険を見直す際は、この特約の有無を確認することを1度だけメモしておくと安心です。
板金現場が困る高張力鋼板の正体と正しく補修するためのポイント(Mipox)
ハイテン鋼の話は「メーカーや板金屋さんの話」と思っている方も多いですが、実は燃費や維持費に直接影響しているドライバー視点の話でもあります。
車体を100kg軽くすると、燃費は一般的に約3〜5%改善するとされています。ハイテン鋼の採用によって同じ強度を保ちながら鉄板を薄くできるため、車体重量の削減が可能になります。実際、現在の普通乗用車のホワイトボディ(塗装前の鉄板のみの車体)におけるハイテン鋼の使用割合は約45%以上にのぼります(IEEJ資料より)。
このハイテン化の進展は年々数値として確認できます。2003年度には車体のハイテン化率は約40%でしたが、2008年度には48%、2013年度には約56%と上昇を続けています。さらに最新世代の車両では超ハイテン(980MPa以上)の比率も大幅に拡大中です。マツダは次世代モデルで780MPa以上の超ハイテン使用比率を18%から45%へと引き上げる方針を示しています。
ここで重要な逆説があります。車体が軽くなって燃費が良くなる一方で、超ハイテン材の採用拡大は修理コストの上昇を引き起こしています。これはつまり「燃費で毎年数千円得をする一方、万が一の事故では数十万円単位で損する可能性がある」というトレードオフの構造です。
日頃から安全運転を心がけると同時に、万一の際の保険補償内容を見直しておくことが、ハイテン鋼時代のドライバーにとって重要な防衛策と言えます。これは使えそうです。
なお、ハイテン鋼のもうひとつの意外なメリットとして「錆びにくさ」があります。ハイテン鋼は合金元素(シリコン・マンガン・チタン・バナジウムなど)が添加されており、通常の軟鋼より耐食性が高い素材です。海沿いの地域や融雪剤が多く散布される北海道・東北などの環境でも優れた耐久性を発揮します。車の寿命と維持費という観点でも、ハイテン鋼採用は長期的にはプラスに働くことを覚えておけばOKです。
LCA的視点からみた鉄鋼製品の社会における省エネルギー貢献(一般財団法人日本エネルギー経済研究所)— ホワイトボディにおけるハイテン使用割合の解説あり

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