シーマ プロレスラーと車の意外な関係

シーマ プロレスラーと車の意外な関係

シーマとプロレスラー

記事の概要
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プロレスラーCIMA

本名・大島伸彦。闘龍門1期生としてメキシコでデビューし、DRAGON GATEの中心選手として活躍した日本を代表するレスラーです

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日産シーマ

1988年登場の日産フラッグシップ。バブル期に「シーマ現象」を巻き起こした高級セダンとして知られています

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意外なつながり

リングネームと車名をつなぐ驚きのエピソードがあり、車好きなレスラーたちの世界が広がっています

シーマというプロレスラーの経歴とデビュー

CIMA(シーマ)は、1977年11月15日生まれの日本を代表するプロレスラーです。本名は大島伸彦で、大阪府堺市北区の出身です。中学生のころ、兄と見に行ったウルティモ・ドラゴンのプロレスに感動してプロレスラーを目指すようになりました。高校生時代は部活にも入らず、トレーニングとアルバイトの日々を送り、貯めたアルバイト代でメキシコへ渡り、ドス・カラスに師事しました。
参考)CIMA (プロレスラー) - Wikipedia

1997年5月11日、メキシコのアレナ・ナウカルパンで「大島伸彦」の名でデビューしました。その後「シーマ・ノブナガ」に改名し、日本上陸後は「SHIIMA」を経て「CIMA」へと改名しています。2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となりましたが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめる結果となりました。
参考)https://dic.pixiv.net/a/CIMA

項目 内容
本名 大島伸彦
生年月日 1977年11月15日
出身地 大阪府堺市北区
デビュー 1997年5月11日(メキシコ)
身長・体重 174cm・82kg
血液型 O型

シーマというリングネームと日産車の関係

プロレスラーCIMAのリングネームには、実は日産の高級車「シーマ」との深い関係があります。シーマ・ノブナガ、そしてCIMAというリングネームの由来は二つの理由があります。一つは、メキシコで修行していた当時、現地の人々が「オオシマ」という発音がうまくできず「オッシーマ」となってしまったことです。
参考)CIMA (プロレスラー)とは - わかりやすく解説 Web…

もう一つの理由が車との関係で、当時CIMAの兄が乗っていた車が「日産シーマ」だったからです。そのシーマがかっこ良かったという理由から、このリングネームを採用したというエピソードがあります。CIMAという言葉自体はスペイン語で「最上級」や「頂点」を意味する言葉であり、日産シーマも同じくスペイン語で頂点を意味する単語をネーミングに採用しています。
参考)Cimaとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

偶然ではありますが、プロレスラーのCIMAと日産の高級車シーマは、言葉の由来とエピソードの両面で深く結びついています。レスラーが車名をリングネームの由来とするケースは珍しく、兄の愛車への憧れがプロレスラーとしてのアイデンティティの一部になっているという点が興味深いです。
参考)http://blog.livedoor.jp/nishi3count/archives/847686.html

シーマのプロレスでの主な活躍と団体

CIMAは2004年に闘龍門から独立したDRAGON GATEのエースとして活躍しました。新設されたオープン・ザ・ドリームゲート王座の初代王者に認定され、第14代王者としては計15度の防衛に成功し、1年8ヶ月保持した記録を持ちます。この記録は同王座の最多連続防衛記録(15回)および最長保持記録(574日)として歴史に刻まれています。
参考)CIMA、ついに陥落 新世代・鷹木がドリームゲート新王者に …

得意技は「シュバイン」「マッド・スプラッシュ」「メテオラ」などで、「心臓バクバクするプロレス」をテーマに掲げています。2018年にはDRAGON GATEから離れ、中国上海を拠点とした「OWE」を立ち上げ、海外事業を展開しました。2021年にはGLEATに移籍し、全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座を獲得するなど、8年ぶりのシングル王者にもなりました。
参考)CIMA|PROFILE|GLEAT|国内外のプロレスとコラ…

  • 闘龍門1期生としてメキシコでデビュー(1997年)
  • スーパーJカップ準優勝で知名度を獲得(2000年)
  • DRAGON GATEで初代オープン・ザ・ドリームゲート王者に認定
  • ドリームゲート王座15連続防衛の記録保持者
  • OWE設立で海外進出(2018年)
  • GLEAT移籍(2021年)
  • 新日本プロレスのレッスルキングダムやNEW JAPAN CUPにも参戦

シーマという日産車の歴史と特徴

日産シーマは1988年1月に初代モデルが登場した高級車です。当時はセドリック・シーマ、グロリア・シーマと呼ばれ、2車のシリーズ最上級バージョンと位置づけられていました。型式名はFPY31で、V6・3Lエンジンとセラミックターボ付きの2種類のエンジンを搭載し、東京店頭渡し価格は510万円でした。発売と同時に予約が殺到し、販売台数が供給を上回る「シーマ現象」を引き起こし、バブル期の高級車ブームを象徴する存在となりました。
参考)歴代シーマ、頂点を目指した日産の名車の軌跡

1991年8月に2代目へフルモデルチェンジし、エンジンは4.1Lに拡大されました。1996年6月には3代目が登場し、V8・4.1LとV6・3Lターボの2種類のエンジンをラインアップしました。2001年1月には4代目となり、マルチプロジェクター・キセノンヘッドランプや世界初の「レーンキープサポートシステム」を搭載するなど、先進技術を多数盛り込みました。
参考)https://www.goo-net.com/catalog/NISSAN/CIMA/

2012年には5代目として復活し、ハイブリッド専用モデルとなりましたが、セダン市場の縮小や時代の変化により、2022年に34年の歴史に幕を下ろしました。日産の技術の粋を集めたフラッグシップモデルとして、バブル期の象徴から先進安全技術の結晶、ハイブリッド高級車へと変遷した歴史を持っています。​

プロレスラーと車の関係から見る独自視点

プロレスラーと車の関係は、単なる移動手段を超えた特別な意味を持つことがあります。CIMAのようにリングネームに車名が影響を与えた例は珍しく、プロレスラーのアイデンティティ形成において車が重要な役割を果たすケースがあります。実際、CIMAは2002年に愛車でうどん屋に突っ込む事故を起こしたこともあり、その後「うどん屋にトペ・スイシーダ」としてネタにされるなど、車にまつわるエピソードがプロレスの世界でも語り継がれています。​
プロレスラーの中には車好きが多く、ASDBというデータベースには様々なレスラーの愛車情報が記録されています。例えばCIMAの場合、クライスラー・PTクルーザー(黒色)に乗っていた時期があり、「車のことはほとんど知らんから見た目で決めただけや」とコメントしていたことが記録されています。趣味として洗車を挙げるレスラーもいるなど、車はプロレスラーの日常生活やライフスタイルの一部となっています。
参考)職業: レスラー href="https://asdb.jp/tag/s03/" target="_blank">https://asdb.jp/tag/s03/amp;#8211; 愛車DB

興味深いのは、メキシコではプロレスと日産車の両方が国民に愛されているという事実です。メキシコの国民的プロレスラーがエル・サントであるのと同様に、1990年代に登場したサニーのメキシコ版「日産ツル」が国民車として愛されていました。CIMAがメキシコでデビューし、そのリングネームに日産シーマが影響を与えたことを考えると、プロレスと日本車文化の意外な交差点が見えてきます。
参考)異国の国民車が日産車!? メキシコの自動車の歴史に足跡を残し…

💡 プロレスラーと車の豆知識

  • CIMAは3人兄弟の末っ子で、兄の愛車シーマに憧れてリングネームに採用
  • 阪神タイガースファンとしても知られ、新井とともにテレビの阪神戦中継にゲスト出演
  • 日本語以外にスペイン語、英語を使いこなせるマルチリンガル
  • 2009年にタレントの益田エレニと結婚し、ギリシャ国旗と同じ水色をパーソナルカラーに
  • 左膝や首の怪我を抱えながらも2009年に克服してリングに復帰

シーマのプロレスラーとしての現在の活動

CIMAは2021年3月にGLEATへ入団し、現在もLIDET ENTERTAINMENT所属のプロレスラーとして活躍しています。GLEATではキュレーターとしてリング上でマッチメイクを行う傍ら、試合にも積極的に参戦し、琴香などの若手育成にも力を注いでいます。2022年1月には新日本プロレスのレッスルキングダムにサプライズで登場し、3月にはNEW JAPAN CUPに唯一の外敵として参戦してベスト8まで勝ち進みました。
参考)CIMA (href="https://www.instagram.com/supercima1115/" target="_blank">https://www.instagram.com/supercima1115/amp;#064;supercima1115) 窶「 …

SNSでも積極的に情報を発信しており、X(旧Twitter)では「@supercima1115」としてGLEATやLIDET、ギリシャ、K-POP好きなど多様な興味を発信しています。InstagramではプロレスラーCIMAとしての活動を「Professional Wrestler. Luchador profesional」と紹介し、18,000人以上のフォロワーを持つなど、現代のプロレスラーとしてデジタルでのファンとの交流も大切にしています。
参考)https://x.com/supercima1115

G-INFINITY王座ではカズ・ハヤシとのタッグで第4代王者となるなど、40代後半となった現在も精力的にタイトルを狙い続けています。神戸では「プロレスラーCIMAの歴史の大部分を作ってくれた」と感謝の言葉を述べるなど、これまでのキャリアを大切にしながら新たな歴史を刻み続けています。ファンからは「やはりCIMAが先頭を走ってる時のドラゴンゲートが1番面白かった」という声も上がるなど、プロレス界における存在感は今なお大きいものがあります。youtube​
参考)https://x.com/supercima1115/status/1926878406194418069

GLEAT公式のCIMAプロフィールページ
現在の所属団体GLEATでの詳細なプロフィール、デビュー情報、経歴が確認できます。

 

Wikipedia CIMA(プロレスラー)
リングネームの由来、兄の愛車シーマとの関係、メキシコでのデビューからGLEAT移籍までの詳細な経歴が記録されています。